1月29日、衛管(城南衛生管理組合)議会の視察で、東京23区清掃一部事務組合が運営する杉並清掃工場へ視察に行ってきました。

杉並清掃工場は、高度経済成長の時期に、大量生産、大量廃棄によって東京都は焼却工場の建設が急務となり、昭和41年、当時の美濃部都知事が清掃工場の建設計画を発表しました。

近隣の住民は建設反対期成同盟を結成し、昭和49年に和解するまでを「東京ごみ戦争」と呼ばれました。

映像による「東京ごみ戦争」の歴史は、人間が出したゴミとの闘い。住民と行政が衝突しながら、話合い、歩み寄り、協力するまでがよくわかりました。

現在の清掃工場は昨年、建て替えられました。
工場内には、初代の清掃工場を建設するまでのさまざまな出来事、建替えに至る経緯などの歴史と教訓を伝えるために「東京ごみ戦争歴史みらい館」を併設しています。

30日は、多摩ニュータウン(八王子市、町田市、多摩市)環境組合が運営する多摩清掃工場へ。
ここでは、おもにリサイクルセンターを視察しました。

住民がゴミとして出した大型ゴミや陶磁器の食器、ペットボトルやガラス、布などを再利用する施設です。

リサイクルセンター「エコにこセンター」の運営コンセプトは、「地域・わざ・次世代」です。
ゴミの少ない暮らし方を学んだり、情報を得ることができる施設です。

食器は砕いて、溶かしてから岐阜県の美濃市で食器として生まれ変わり、リサイクルセンターで販売されていました。

住宅地にある杉並清掃工場と多摩清掃工場は、いつも住民のみなさんへ情報を発信し、協議会などをつくって信頼関係を築いていました。

ゴミの処理には多額の費用がかかります。その費用はすべて税金です。
人口減少時代にあって、今後、どのようにゴミ処理をすすめていくのか。

そもそも、ゴミを作らない社会をつくらねばと思います。そのためには、住民もしっかりと環境問題などを学ばないといけないと感じました。